服やバッグなどどうしてもぴったりのものがない。
自分が身につけるものは、自分で作らないと。
いずれは仕立屋を目指す間。
糸空無またの名を縫方糸功は、
紳士服仕立屋の長男として生まれた。父は紳士服専門の仕立て職人で、(有)丸善繊維の看板を掲げていた。その師匠である母方の祖父は器用な人で、紳士服はもちろん、婦人服、子供服もお手の物であった。だから子供の頃、服を買ってもらった覚えが全くない。
父はよくこう言っていた、「この商売は一代限りでいい」と。糸功の他に二人の弟もいたが、だれも跡を継ぐつもりは全くなかった。それでも、よく手伝いをしたものだ。
こんなエピソードがある。大学の志望は工業意匠科であった。合格したとき、叔母が「やっぱりねえ」と言っていた。「衣装科」だと思っていたらしい。四十をすぎた頃から無性に自分の手で服を作ってみたくなった。その頃から「いずれ仕立屋を」なんて言い出しはじめていた。陽希蓮は、
子供の頃人形の服を作るのが好きだった。型紙なしで布に直接はさみを入れたり、人形の寸法に合わせながら縫っていくというような行き当たりばったりの大胆な作風であった。機織りも少々かじり、ピアノを売って織機を買う始末。糸功は、結婚前のクリスマスにその織機で織ったマフラーをプレゼントされた。
モデルである傍ら糸功のよきアドバイザーでもある。
また、功夫着(カンフーウエア)になると太極拳の技が炸裂する。太極拳といって侮るなかれ、希蓮のそれは陳式太極拳で太極拳の源流であり、武術太極拳なのだ。さしずめ、マトリックス/スローモードというところ。
●自分の服(未収蔵)
●布小物(収蔵2点)
●バッグ(未収蔵)
●刺し子(未収蔵)
●その他(未収蔵)
●ひと(未収蔵)
●もの(未収蔵)
●こと(未収蔵)
●ところ(収蔵1点)
・群言堂(石見銀山に拠点を置く、衣・小物デザインの制作販売の店)